卒論とは別の仕方で、あるいは卒論の彼方へ

卒論を書くための読書記録など

木田元『反哲学入門』 ニーチェ(前編)

ハイデガー入門を読んでいたんですけど、それ以前に読むべき本があるんじゃないかと思って、反哲学入門。買って来たのは夏なんですけどね。これ読んでいきます。

 

・ただ、200ページぐらいまでもう既に分かってるようなことです。哲学っていうのは、超自然的な観念を前提としてきたもので、その点、日本人には受け入れられないと思うから、哲学って西洋だけのものだと思うよ、という雑要約。その前提から、ソクラテスプラトンキリスト教思想、デカルト、カント、ヘーゲルのこのお馴染みの流れを「超自然なるもの」を中心テーマに整理されていく。

 

 

 

・そこからこの本のタイトルにもある「反哲学」がはじめる。今までの哲学全部ひっくり返されます。それは今までの議論の大前提であった「超自然なるもの」なんてない、と宣言するものだから。その哲学をひっくり返した人がニーチェ。ようやった。

・そっからの流れが大事じゃないですか。今まで超自然的原理(形而上学的原理)を立てて、それを基準点として、自然を見て自然とかかわるような思考を「哲学」と呼ばれるものはしてきたっていう話です。で言ってしまったら、哲学において想定されがちな「形而上的世界」みたいなものがある訳ですね。その哲学において想定されがちな形而上学的世界と今自分たちが見聞きできる現実世界ってのはまた別の原理が働いているものとしてあると。その世界から自分たちの世界を「答え合わせ」していこうみたいなのが哲学史の流れとしてありました。こう、法廷で裁判官(形而上学的世界)から被告人(現実世界)へと裁判にかけられるみたいなイメージですね。(ニーチェの二世界論)

 

・で、ニーチェのように哲学を全部ひっくり返そうとした。わりと同時期な人でマルクスも同じようなことを考えていた。

・だとすれば、その「超自然的原理」(形而上学なるもの)を想定したやつが真犯人だっていうのがニーチェの主張。そいつは誰だ。そいつはプラトンだ。奴のプラトニズムが諸悪の根源だ。

・全ての哲学が、そのプラトニズムを前提としてきた。その反哲学ANTIPHILOSOPHYになるものが生まれたということですね。

 

・そういうことを19世紀末のニーチェ兄ちゃんは考えた。19世紀末って退廃的っすよね。「明るく美しい未来を技術文明が開かせるだろう、水晶宮すごーい」みたいなのがある一方で、ドストエフスキーは地下室にこもったり、ボードレールは出した詩が発禁されたりしていた。

ニーチェは哲学者じゃなくて、「古典文献研究者」です。神童および天才で、24歳でバーゼル大学の助教授になります。ギリシャローマ古典の研究が主な研究です。最初の研究は、何でギリシャ悲劇の誕生を探求したのかっていう『悲劇の誕生』。1872年。

ディオニュソスなるものとアポロン的なもの、この2つが結びついた時に「悲劇」が生まれたっていうことなんです。これ完全にショーペンハウアーの「意志と表象としての世界」の影響下に生まれた考えです。でこれはカントでいう物自体VS現象だし、それは元を辿ればライプニッツモナド論に通じる。ここでライプニッツカントーショーペンハウアーニーチェとつらなる思想の系譜を見ることができる。ハイデガーはこれをドイツ形而上学の系譜と呼んでいるし、さらに、「意志」という言葉の元にシェリングヘーゲルドイツ観念論も結局同じ系譜に連なるだろうっていう。この辺の整理が、厳密には雑なんだろうけどいいよね。

・でニーチェのいう「意志」っていうのは、むしろ生命衝動(本能)というような、より根源的なもの。知的な能力っていうのか肉体的な能力みたいなことなんでしょうね。

アポロンはオリンポスの神神の彫像のような、明るくて晴れやかなものだが、その精神の根底にはとてもペシミスティックな、ディオニュソス的なものがあるらしい。夜になると、今でいうレイブパーティーみたいな、酒池肉林のどんちゃん騒ぎをしていたらしい。これが悲劇の始まりだ(説明を省くな)、みたいなことを書いた本を歴史学の書として出したんだけど、当時の歴史界から猛烈にバッシングされて学会を追放されました。涙目のニーチェプラトン以前の哲学者の哲学を研究していました。

アナクシマンドロスヘラクレイトスパルメニデスといった「ソクラテス以前の哲学者」の「自然」ピュシスについて書いている哲学を研究する。この時の自然って、もう万物EVERYTHINGのことを指していると思ったらいい。このニーチェは自然ピュシスの概念とディオニュソス的なものという概念を重ねて考えようとしたんだけど、ディオニュソスなものって無秩序な本能的なものだから、ちょっとこの自然とは違うんじゃないってなってくる。どうそこをでっちあげるか?

・で、このニーチェの中で、この「ディオニュソス的なもの」がどんどん膨れ上がってきます。ディオニュソスアポロン的なものっていうのが、悲劇の誕生で語られたわけですが、もはやアポロン的なものをも含み、さらに強くなろうとする。恐ろしい計算高いものとして「ディオニュソスくん」はなっていきます。

・で、ディオニュソス的なものというものが、ニーチェの中で「力への意志」というキーワードで結実化します。力も意志もより大きくなろうとします。「生」の本質的構造とは、この力にしてより強くより大きくなろうという意志にほかならないと考えます。

・そんなこんなでついに『ツァラトゥストラはかく語りき』という大哲学詩を書き上げました。これはあくまでもニーチェ哲学の哲学的主著を書くための「玄関口」に過ぎません。本当の哲学的主著のタイトルは『力への意志 すべての価値の転倒の試み』。本人が、もうこのタイトルだけで人を恐れさすことができるぞと言った自信作。この本を書こうとするものの、ここで精神がいかれちゃったニーチェは最終的に執筆書き上げることなく、死んでしまいます。死後、ニーチェお兄ちゃん大好き妹が遺稿整理するものの、結局出版は失敗します。でも、大体何を言おうとしていたのかっていう構想と草稿は残っていて、研究されている。

・まとめ ギリシアの古代悲劇や哲学の研究をしたニーチェは、キリスト教や哲学をもたらしたプラトンプラトニズム、すなわち「超自然的原理」(形而上学なるもの)なんてない!、と言って、哲学の歴史を根底からひっくり返そうとする。

 

・ここで疲れたので一旦やめます。「あれ、まだ神死んでなくね?」って思った方。次回、初っ端から神死にます。次回に続く。